「五輪具 -Five Rings-」
制作部より
稽古場にて太鼓奏者“林英哲”彼が1971年に「佐渡・鬼太鼓座(さど・おんでこざ)」の結成に参加してから38年、彼の命名により「鼓童(こどう)」を作り上げ後に独奏者となり1984年にカーネギーホールにて太鼓ソリストとして舞台に立った時から、もう25年が経つという。以来の世界を股にかけての活躍はウェブサイトの打暦をみると、もうすでに多くの人の知るところであるように思える。しかし果たして本当にそうなのか。いやそうではないだろう。まだまだ“太鼓”をコンサートで聴くというのは私たちの日常においては、稀な出来事ではないだろうか。ロックやポップミュージックに比べれば、邦楽と呼ばれる分野の音楽は伝統音楽というフィルムに包まれて、時に敷居が高く感じられ、時に何だかパッとしないものとして、特に若い世代には伝わりにくいもののひとつなのかもしれない。
英哲氏と英哲風雲の会のメンバー
上の写真は、英哲氏とその門下生である20代,30代の太鼓奏者たちの稽古のワンシーンだ。若い彼らがなぜ太鼓の魅力に惹かれ、英哲氏のもとに集まったのかはそれぞれの物語があるのだろうが、少なくとも氏の奏でる“音楽”が少なからず彼らの魂を揺さぶったのではないかと思う。老いも若きも林英哲の演奏を聴き終わった後、そして聴いている最中にも、何かがこみ上げてくる様子を客席で毎回見かける。もちろん熱狂的なファンによる大拍手のことだけではない。それは太鼓のリズムにのせられているかのように自然と体を揺さぶっている姿であったり、眼を潤ませている顔であったり、演奏が終わると同時に立ち上がって拍手を送る姿であったり、様々である。このことはきっと、この音楽が決して私たちにとってよそよそしいものでなく、また古風で退屈なものではないことの証ではないだろうか。むしろ私たちに音楽というもののルーツさえ想像させ、林英哲という人が、今同じ時間を共有するものにとってなんらかの影響を及ばさずにはいられないくらいエネルギッシュなという存在であるとさえ思う。
衣装デザインのスズキタカユキ氏との綿密な打ち合わせ
ここに英哲公演の照明を長い間手掛けてきた海藤春樹が公演を企画したのは、太鼓奏者・林英哲の公演そのものを最も純粋なかたちでつくれないかと考えた。そして、英哲氏自ら創り出した衣装のスタイルに新進気鋭のスズキタカユキ氏が出会い、ステージに新たな魅力が加わったかたちになった。メコンフェスティバルという国際文化交流イベントにおいてこれ以上に無い準備が整い、2回公演というささやかながら確かなステージを届けたいと思う。
文と写真 制作:飯田幸司


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